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赤坂浄苑を支える様々なスペシャリストを紹介していくこのコーナー。
今回は赤坂浄苑の空間を企画デザインした空間デザイナーの高取邦和様にご登場いただきました。

憩いと聖域を融合させた赤坂浄苑の空間デザイン

空間デザイナー
高取邦和

プロフィール
東京藝術大学美術学部工芸科・同大学院美術学部工芸科を修了後、1973年、株式会社スーパーポテトを共同設立。1988年、株式会社 高取空間計画を設立。 モビリア・インテリア・カレッジ講師。多摩美術大学環境デザイン学科講師。日本大学芸術学部建築学科講師。等を経て、現在に至る。「バー・ラジオ」「イッセイミヤケ」「冨山県こども未来館インテリア」「松栄寿司」「4℃」「茨城県自然博物館インテリア」「CK・カルバンクライン」「レストラン・ ルッツォーロ&ウーム」など数多くの作品を手掛ける。

赤坂界隈を実際に歩いて構想したデザイン

ー 単に美しいというだけではなく、建物や環境にあるストーリーを読み取り、そこにいる人の視線や動線、そして集いに対しても深い洞察を重ねていく高取さんの空間づくり。赤坂浄苑の空間設計では特にどんなところに反映されているでしょうか。

私のデザイン・空間の設計っていうのはモノというよりもそこで繰り広げられるコトとつながっていく演出の要素が強いと思っています。ですから、できたものを「どうぞお使いください」ではないんです。必ず住まう方、使う方をイメージしてその葛藤からデザインが始まります。
赤坂浄苑の仕事で私が一番意識していたのは、そこの空間を使う以上、その意味というか、根拠を明確にする事でした。そのために赤坂というのはどういう土地柄なのか、1週間ほどあの辺をぐるぐる歩きながら考えたのです。

赤坂という参道にあること

赤坂というのは昔ながらの料亭など風流な雰囲気を持っています。一方では1960年から70年にかけまして若者の時代がこの街にはあったんです。そして現在では赤坂サカスや東京ガーデンテラス紀尾井町の他、TBSなども新しく建て替わり、新旧が交差する不思議で特徴のある街だという印象を持っています。そしてそういった赤坂にある特性をデザインに反映していく必要があると思えてきたのですが、その中で忘れてはいけなかったのは、ここがお寺だということでした。赤坂浄苑は納骨堂という新しい機能を持つ建築物のように見えますけど、実はお寺なんですよ。しかも申し上げました古い時代と新しさが同居する赤坂という街にあるお寺です。その意味で赤坂の街、なかんずく一ツ木通りは参道になるでしょう。そしてその参道を歩いて迎えてくれるのがあのロビーだったのです。

人と家族の絆を深める場所に

ー 赤坂浄苑は一歩中に入ったらホテルのラウンジのような落ち着きを感じますね。

一般の方もすっと通りから入って来やすいよう1階のロビーを含めた部分に納骨堂ではなく、ホテルを訪れたような気持ちですっと入れる、そういう場にしようという意識がありました。
しかしそれ以上に考えたのはそこが集いの場であること。要するに知らない方が赤坂浄苑で出会うわけです。それをものすごく意識しています。何度か足を運ぶ中で次第に顔を覚えていく人もいるでしょう。昔のお寺というのは自分が住む街や生活の中心でした。そしてそこには人が自然と集ったものです。
そういった人たちと自然に会話ができていくそんな場所でありたいと思い、空間づくりを始めました。
同時に家族の絆を深めることも大事にしたのです。我が家から遠い場所にお墓があれば家族と再会する機会もなかなかないでしょう。でも赤坂浄苑なら近いのでいつでも気軽にお参りができる。また会社が終わった後も遅くまで開いているからお参りしてこようよ、その帰りにちょっと呑んでいこうよという話にもなる。そんなことも狙いであったわけです。その中で兄弟や家族のきずなが深まっていく、それがこの場所であってほしいと思いました。

仏間の延長としてのお参り空間

ー ロビーから上まで吹抜けになっています。そこには何か理由があるのでしょうか。

吹抜けから光が射しこみますが、そこはお清めをする場と考えたわけです。2階にある金の器もそのことを象徴しています。お清めは本来、水で行うものですが、あえてそれを光でやってみたのです。上から強い光が器に当たり、その波紋がまた天井に戻されていく。そんな光の中でお清めするような気持ちが、込められています。そして吹抜けからその清めが見える。大壁面には編んだステンレスの滝に見立てたアートワークが水のイメージを演出しています。また1階には金の柱の大黒柱をここに設けました。ここだけではあえてこの柱で現世と来世をつなぐものを表現しようと考えました。

ー 細部まで深いこだわりをもってつくられた赤坂浄苑の空間。全体を通じて大切にしたことは何でしょうか。

ここは住まいの仏間の延長であっても良いと考えました。いつでも気軽に来ることができるアクセスの良さ、そして人や家族とのほっとするふれあい。それでありながら故人や先祖を偲べる聖域として品格も兼ね備えていてほしい、そんな想いがここに込められています。