伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆
新型コロナウィルスの蔓延に伴い不安な日々をお過ごしになられ、心身ともにお疲れのこととお察しいたします。ワクチンもなく有効な治療薬が確立されていない(ある程度効果のある薬はあり治験中)ウィルスでございますので心配は尽きないことと存じます。
ワイドショーでは感染者数・死者数を速報し、コメンテーターが政府批判に終始するばかりでいたずらに不安を煽っている状況ですが、一方他のメディアでは不安にならず普段のインフルエンザのような対応で大丈夫との情報も見かけます。
様々な情報から見ますと、このウィルスの不安にならなくていい部分は国内において約八割の感染者が軽症に終わり、同数である感染者の八割が二次感染(感染者からの感染)させていないという点です。逆に怖い部分は主に感染を広めている小規模集団感染(クラスター)の条件が完全に解明されていないことと、高齢者や持病のある方が重症化しやすく、症状を緩和するする治療薬や感染を防止するワクチンが開発されていないことです。
現段階で必要となるのは感染の波を緩やかにし、今の医療体制を維持しつつワクチンや治療薬の完成を待つこととであり、ある程度の娯楽を犠牲にしてでも感染拡大の防止に努め高齢者や持病があるかたなど、免疫力が弱い方々の命を守ることなのです。
当苑におきましても各種イベントの延期や中止、エントランスへ消毒スプレーを設置し手の消毒を徹底、ハンドドライヤーの使用停止や従業員の時差出勤など様々な対策を行っておりますが、苑内で感染者が出た場合には施設の一時的な封鎖もやむを得ないものと想定しておりますので、その点においては何卒ご理解くださいますようお願いいたします。
デマによるトイレットペーパーの買い占め。自己の利益を優先したマスクの転売。代案のない政府批判など、不安から世の中が大変に混乱しております。しかしながら、不安をあおる専門家やコメンテーターより何倍も経験があり、何倍も知識を持った医療関係者や専門家たちが日夜必死になり対策を講じてくださっている現状も忘れてはならないのです。
仏教では世界を救い、人を幸せにするために「四摂法」(ししょうぼう)という四つの行いを説きます。
一つには「布施」(ふせ)
布施とは他者に対する施しです。その行いが回り巡って自分の為になるという教えです。皆さまが従事されている「仕事」も結局は世の為や人の為になることが根本であり、その営み自体も布施であると教えています。マスクの転売は多くの利益を生みますが、それは社会が正常に動いていることが前提であって、人の不幸に乗じた行いは悪業を積むだけであり決して自分の為にはらないのです。
二つには「愛語」(あいご)
愛語とは愛のある言葉です。徳のある人は褒め称え、徳のない人は責め立てるのではなくかわいそうだと憐れむ言葉が必要と説きます。不安からか世間ではきつい言葉をよく聞くようになりました。ですが自分の考えは相手の立場を思いやった優しい言葉でなくては伝わらないと教えています。
三つには「利行」(りぎょう)
利行とは心から他者の利(幸せ)を願い実践するという教えです。愚かな人は人の幸せを優先して行動することにより自分が損をすると考えますが、他者の為の行いは大きな力となり自分を含めより多くの人を助けると説きます。
四つには「同事」(どうじ)
同事とは自身も他者も違わないという教えです。他者は自分を映し出す鏡であるのと同じように自身も他者を映す鏡なのです。人の営みには人種も国境も関係ないわけですから、誰が悪い、誰の責任と議論する前に建設的な考え方を持ち、現在起きている問題は自身を含む全体のことであるととらえ協力しあって解決に導くことが大切なのです。
今年で東日本大震災から九年を迎えます。現在も完全に復興したとは言えない状況ですが、二万人に迫る死者・行方不明者を出した大災害に対し国内外を問わず慈しみの輪が広がったことを今も記憶しております。他者の幸せを知ることが自身の幸せに結びついたのです。
人は不完全なものであり誤った考えを持ち間違いを犯すのが当然の生き物ですが、その中で先人達の知恵の一部分が宗教でございます。妄信的に信仰するのではなく、ためになった部分だけでも参考にしていただき、過度に不安にならずこの困難に立ち向かっていただければ幸いでございます。
令和二年三月十九日