伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆

副住職 角田賢隆

陽春のみぎりいかがお過ごしでしょうか。三年間にわたり私たちの生活に影響を与えておりましたコロナウイルスでございますが、終息はしないものの、いよいよ収束の兆しを見せおります。

今までできなかった催しが再開されるなど、新年度を迎えるにあたり社会全体に明るい話題が多くなってきたのを肌で感じております。当苑においても重症化リスクの高い方が分断されないような配慮をしつつ、以前に行っていた取り組みも含め、新しいイベントも企画してまいりますので、今年度もご支援ご協力の程よろしくお願いいたします。

当院住職がよく話す法話に「一休さんと蒲焼」という話があり、私はとても好きで禅的な生き方をよく表しておりますのでご紹介いたします。

ある日、一休さんが檀家さんの法要を勤めるため、お弟子さんと道を歩いておりました。しばらくすると道端に鰻の蒲焼を売る屋台があり、店主がうちわであおぐ鰻からはパチパチといい香りが漂ってきます。屋台の前に差し掛かった時、一休さんは不意に「うまそうだなぁ」とつぶやきました。これを聞いてびっくりしたのはお弟子さんです。僧侶として欲望を口に出すなど、ましてや鰻を食べたいなどとはあるまじき行為だと道すがらずっと考えておりました。

檀家さんの家に着く直前、ここで聞かなくては後で聞けないと、お弟子さんは意を決し「僧侶の身でありながら蒲焼に心を奪われるとはいかがなものでしょうか」とたずねます。それを聞いた一休さんは「お前はそんなことを道すがらずっと思い悩んでいたのか。それがいかん。わしはそんな思いなど屋台の前に捨ててきたぞ」と叱責しました。

喜びも怒りも悲しみも誰しもが持つ、生きている当たり前の感情です。しかしながら、その影響を強く受け引きずってしまっては、大切な今を見誤ってしまうのではないでしょうか。

失敗から反省し学ぶことは大変重要なことですが、考えても仕方ないことは考えても解決しませんし、どうにもならないことはどうにでもなっていいこととも言えます。過去は変えれませんが、未来を変えることはできます。コロナ禍で苦労した皆さま方におかれましは、よろしければこのお話(引きずらない生き方)を心の隅にでも少し留めていただき、今を大切に生きていただけますとありがたく存じます。

伝燈院 赤坂浄苑 角田賢隆 拝