伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆
小暑のみぎり、当苑ご関係の皆さま方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
早いもので今年も一年の半分が過ぎ「お盆」の時期を迎えます。たいていの方が「お盆」は仏教行事の認識だと思いますが、実は神道にその起源がございます。
仏教の伝来以前から日本には「祖霊崇拝」という信仰があり、亡くなった先祖の加護が私たちの生活に影響を与えるとされておりました。
神道の基本は「すべてのものに神が宿り、私たちはその恵みにより生かされている。そのことに感謝し一日一日を大切に生きる」であり、亡くなったご先祖さまを、「家」を守り繁栄をもたらしてくれる神さまとして大切に祀ります。
諸説あるものの「お盆」の語源は供物を盛る「お盆」(トレー)であり、やがて供物をささげる行為が「お盆」となり、最終的には先祖を供養する行為自体が「お盆」になったとされます。
神道では一年を半分とし、六月と十二月に「大祓」という禊の儀式を行い、その後に「神さま」をお招きしますので、一月の「正月」と旧暦七月(新暦の八月ぐらい)の「お盆」は仏教伝来以前から神さま(ご先祖さま)をお迎えする大切な風習だったわけです。
一方で仏教における「お盆」は簡単に申し上げると「施餓鬼」でございます。「六道輪廻」の一つである「餓鬼道」に落ちた哀れな霊に「施し」をあたえ、その「功徳」によりご先祖さまを供養いたします。「功徳」とは幸福をもたらす「よい」行いのことであり、餓鬼に施すことでさらに大きな力としてご先祖さまを供養します。
これは仏教の「利他」という教えで、他者の利益を優先することが自身の幸せにつながるというものです。
施餓鬼の元となったお経は「盂蘭盆経」なのですが、この当て字の「盂蘭盆」にもともと日本にあった「お盆」という風習が融合し、今のお盆になったと考えられます。
「餓鬼界」は生前欲深かったものの落ちる世界とされており、飢えと渇きに苦しみ、常に満たされず、食べ物を見つけても燃え上がってしまいます。また、餓鬼は体がやせ細り、喉が細く食べ物をうまく呑み込めません。
お盆の代表的な供物である「水の子」(茄子ときゅうりを賽の目に切り洗った生米を混ぜたもの)はまさに餓鬼に対する施しなのです。
元々あった先祖供養に「施餓鬼」が加わったため大変分かりづらい風習となっておりますが、大前提は先祖をお迎えしもてなすお祭りでございますから、いつものご供養よりすこし豪華なお供物でお迎えいただければそれで十分でございます。
そのうえで出来ましたら「餓鬼供養」にも目を向けていただき、「水の子」の供養、難しいようであれば祭壇の一番下にコップ一杯の「お水」だけでもお供えくださいませ。
そして、仏教の「地獄」や「餓鬼」の教えからもわかる、悪いことをすると悪いところに落ちる。そのために今の世をどう生きるか、ということをご自身で考える機会とし、次の世代に伝承いただけるとありがたく存じます。
伝燈院 赤坂浄苑 角田賢隆 拝