赤坂浄苑について

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伝燈院 赤坂浄苑 副住職 角田賢隆

副住職 角田賢隆

秋冷のみぎり、当苑ご関係の皆さま方におかれましてはいかがおすごしでしょうか。

仏教では故人さまが亡くなられて一年後に「一周忌」の法要を行い、二年後に三回忌の法要を行うのが一般的です。二年なのになぜ三回忌なのですか。との質問をたまにお受けいたしますが、これはご命日の数と考えていただけますとわかりやすいです。ご逝去されてから一年、一回季節が巡って一周忌。これは回忌で言うと二回目の命日で「二回忌」になります。そして二年目の命日はご逝去の日と合わせて三回目の命日となりますので「三回忌」となるわけです。同様に六年目、七回目の命日が「七回忌」、十二年目、十三回目の命日が「十三回忌」と続いていくわけでございます。

次に十七回忌・二十三回忌と「三」と「七」が続くわけですが、仏教ではことさら「三」と「七」の数字を大切にいたします。

今回は「三」について解説いたします。

宗門では最も大切にするべき教えとして「仏法僧ぶっぽうそう」を説き、三宝さんぽう(三つの宝)とも表現されます。仏教が飛鳥時代に伝来し、その教えで国を統治しようとした時代に、聖徳太子の制定した「十七条憲法」の第二条には「篤敬三寳」(さんぽうをあつくうやまう)とあり、その教えは大変重要視されておりました。

仏法僧の「仏」はお釈迦さまのことであり、太陽のように明るく完成された理想を拠り所としましょうという意味です。「法」はお釈迦さまが説かれた教えですが、大半は人として生きていくうえで当たり前の事が説かれています。

「僧」は教えを実践していく仲間のことであり、広義では争いなく協力して生きようという意味です。

お釈迦さまや本尊さまのご供養を行う際には、必ず始めと終わりに三度お拝をいたしますが、これは「仏法僧」三宝にお拝をしているわけでございます。

他宗ですが、徳川将軍家の菩提所である増上寺ぞうじょうじ(港区芝公園)の住職を務めた「椎尾弁匡しいおべんきょう」老師(明治から昭和の僧)は、分かりやすく年号を用い、次のように説いておられます。

「仏」は明治の「明」をとり
「明るく生きましょう」
「法」は大正の「正」をとり
「正しく生きましょう」
「僧」は昭和の「和」をとり
「和して生きましょう」

図らずも最後の「和」は先ほど出た十七条憲法の一条目「たっとしとなす」と同意で「仲良く生きましょう」となります。

「明るく・正しく・仲良く」大変分かりやすいたとえでございますので、年号とセットで覚えていただけるとありがたく存じます。

ややもすると人は他者よりも自分の利益を優先し、自分だけが恵まれていないと思いがちです。しかしながら世の中のことわりは「持ちつ持たれつ」でございます。

自然災害や米不足など、いろいろと大変な状況が続きますが、身勝手な行動は控え、どうぞ悪業あくごうを積まぬようおすごしいただければ幸いでございます。

伝燈院 赤坂浄苑 角田賢隆 拝

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安心して通える身近なお寺

家族のかたちも多様化し、故人の御霊をお納めするご供養のかたちも変化しています。
当院は皆様が安心してお参りができるお墓、気軽に仏教に触れ合える新しいスタイルのお寺をコンセプトにこの「赤坂浄苑」を建立いたしました。
跡取りのない方でも安心して納骨できる「永代供養」
納骨の故人様に対しては毎日のご供養に加え年二回の合同法要。その他、坐禅会・仏事勉強会・様々な催事を開催しております。
参加はご自由ですが、様々な活動を通じ思い立って(発心して)仏門に帰依したとの要望あれば「戒名授与式」にてご戒名をお授けいたします。
門戸を広げる為、宗旨・宗派を問わず無宗教の方でも納骨できるお墓としております。
皆様にとって安心してお参りできる開かれた霊園であり、開かれたお寺であるよう日々勤めております。

合同法要の写真
お参りの様子

後に残されるご家族と故人とが、いつも繋がりを感じられるよう、気軽にお参りできる環境と、永代のご供養を提供するサロン風の納骨堂を、東京・赤坂にお造りしました。
交通至便で、宗教・宗派を問わず、ご希望により戒名授与も承っております。
赤坂にお越しの折、ご見学頂ければ幸いです。

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