仏教においての「お盆」とは正式には「盂蘭盆」(うらぼん)と申します。「裏」というと「表」があるのかと思われますがそういうことではなく、サンスクリット語(古代インド言語)の「ウランバナ」という言葉に漢字をあてたもので、現代語で表しますと「逆さ吊り」「倒懸」(とうけん)という意味になります。

お釈迦様の弟子で神通第一(じんつうだいいち)(超能力の第一人者)といわれる「目連尊者」(もくせんそんじゃ)が亡き母を神通力で見てみたところ、地獄で逆さ吊りの刑に遭っている様子が浮かびました。(目連が幼少のころ、我が子可愛さに他者に食料を分け与えず目連を優先した罪により飢えと渇きに満ちた餓鬼界(がきかい)に落ちたとされる)

動揺した目連は神通力を使い何とか母を救おうと試みますが、ことごとく失敗に終わり逆に母を傷つけてしまう結果となります。万策尽きた目連は師匠であるお釈迦様に相談に行きます。

当時は三か月にわたる雨季の時期で、修行僧は一か所に集まり坐禅と瞑想を行っておりました。相談に行ったのはちょうどその雨季が明けるころでした。相談を受けたお釈迦様は目連に対しこの修行がひと段落する僧侶たちに食べ物や寝具などの施しをしなさい、その功徳(くどく)(ご利益)は広大なものとなり母まで届くことでしょうと諭します。

そこで目連ははっと気づくのです。弟子たちの中では大変優秀であり他の修行僧を指導する立場にあった目連ですが、実母の惨状を目の当たりにし仏教の本質が見えなくなり「我」(が)にとらわれていたのです。

仏教の本質は「布施」(ふせ)であり、他者に対する施しであります。それが巡ってさらに大きいものとなり自分に返ってくるという教えです。

正気に戻った目連は心の底から他者を慈しみ施しを行います。やがてその功徳が届き母も救われたとされるのが「盂蘭盆」(うらぼん)の起源でございます。

寺院で行うお盆の法要は「施餓鬼」(せがき)ともいい文字通り「餓鬼」界に落ちた諸霊に「施し」を行う法要です。その膨大な功徳をご先祖様に巡らせ供養するわけです。

お釈迦様は「縁起」(えんぎ)と説かれます。縁(よ)りて起(お)こる。すべての事柄は相互に繋がっており、悪いことをすれば悪いことが起こり、いいことをすればいいことが起こるのです。

お盆とは先祖を供養すると共に、他者にやさしさを向け人生を豊かにすることを教えてくれる行事でもあります。少しでも仏教の教えに触れていただき、せっかく生きているのであれば人に感謝される人生を歩んでいただければ幸いでございます。

伝燈院 副住職 角田賢隆